昨年だったか、NHKの「未解決事件 特別版」で松本清張が取り上げられていた。私はちょうど『日本の黒い霧(上下・文春文庫)』を読んでいたこともあり、非常に興味深く視聴した。もちろん録画も残してある。
その中で扱われていたのが、1949年7月に起きた「下山事件」である。
かつて私は、柴田哲孝氏の『下山事件 最後の証言』『下山事件 暗殺者たちの夏』、諸永裕司『葬られた夏: 追跡下山事件』、木田滋夫『下山事件 封印された記憶』といった書を読み進め、大変興味深く感じてきた。
そしてこの夏、柴田氏の新刊『下山事件 真相解明』を購入し読了。刊行順に読むことで、複雑な史実の糸が少しずつ解きほぐされ、歴史の闇の輪郭が見えるような感覚があった。
読み進めるうちに「荒井工業」「下山油」「矢板機関」「ライカビル」といったキーワードが何度も現れ、まるでパズルのピースが揃っていくようだった。
そして今年は、日航機が御巣鷹山に墜落して40年。テレビでは慰霊登山の映像が流れていたが、下山事件と同じように「真相が明らかにされないまま時間が経っていく」という共通点を思わず意識してしまう。
御巣鷹については、青山透子氏の一連の著作や森永達郎氏の調査本を読みながら考えさせられた。
例えば、「オレンジ色の飛行物体がJAL機の後ろを追尾していた」という目撃証言。
また「遺体の一部がナパームで焼かれたような状態だった」という証言も紹介されている。
さらに、事故当時の国際関係や、墜落後も続いた航空機購入の経緯など、さまざまな背景を想像せざるを得ない記述が残されている。
不可解なのは、相模湾に沈んだ垂直尾翼のことをマスコミがほとんど報じないことだ。御巣鷹の山での慰霊は毎年映し出されるが、事故原因に直結するはずの「海の調査」についてはあまり語られない。この点には強い違和感を覚える。
下山事件も、御巣鷹山の事故も。真実が明らかにならないまま、歴史の闇として積み重なっていく。
しかし、本を読み、証言をたどることで少しずつ「歴史のパズル」を組み立てていく時間は、今の自分にとってかけがえのないものだ。
戦後80年。
こうして読書を通じて歴史に向き合うことは、今の私にとって「忘れない」という小さな営みの一つなのだと思う。